忘れるということの効能と困った副作用について述べておきます(ほぼ雑談です)
おはようございます。
2018年9月の記憶に関する配信記事です。
実は、昨日の昼食に何を食べたかも覚えていない筆者です。
そして、人間40年以上も過ごしてきますと、すでにかつての人類の平均寿命を軽く超えて来て生きているからでしょうか、かなり直近のことでも覚えていないことが多々あります。
特に、この傾向は男の方が多いようです。
そして、特に対女性に対して、家族とか同僚とかそうした近いところにいる女性には、会話を適当に流しているのではないかと思われてしまうのです。
その対処法としては、大きく二つあると思います。
1つは、まともな解決策で、紙のメモとかEvernoteとか、そういった外部記憶装置の助けを借りることです。
この方法は、とてもよく世界中に知られており、よく歴史的な起業家などがメモ魔であったことが引用されたりもします。
しかしながら、こうした偉人たちは単にメモをとる以上に、他の分野でも異常だったため、異常な成果をあげることができたということを忘れてはいけません。
筆者のように、書いたことも忘れてしまっているのでは、話にならないのです。
それは、記憶を無くしたことと一緒です。
もう一つは、忘れるものであるということを理解してもらうことです。
「今の」人類がアフリカの南部で生まれてからだいたい20万年、そのほとんどの期間は飢えと気候変動に苦しみながら版図を世界中(南極大陸を除く)に広げてきたという歴史の中、特に男たちの何よりの生業は狩りに出ることでした。
そして、狩りの成功率は低いものでした。
要するに、失敗をいつまでも覚えていて次に踏み出せないのは生存確率を下げます。
ですので、意図的に忘れる能力を身につけ、ようするにバカになり、繰り返し繰り返し失敗しながら少しづつ学ぶという方法を身につけたのです。
逆に、女性の方は、長い妊娠期間を経て産んだ子供をこれまた長い期間をかけて母乳で育てるという、子育てに必要な資質として、木の実や植物の食べ方、調理の仕方、保存の仕方、そして危険な猛獣や病気から身を守る手段を多く学び、そのためにも、記憶して使えるようにするという風に脳を鍛えてきた、ということのようなのです。
これは、長い数万年というスパンでそれぞれ鍛えられてきた女と男の「傾向」というものであり、そうそう一世代の教育などでは変わりません。
そういう生き物として賛同せずとも、理解しておくことは大切ではないかと思うのです。
ということで、忘れてしまっている中年のおっさんがもしそばにいるのであれば、彼はすぐに忘れるアホな男であるという側面、裏を返せば過去のことにはこだわらない超前向きな、狩りの能力が高い男なのかもしれないのです。
本日は、忘れることも能力という話でした。
昨日の昼食ですが、確か何かに夢中で食べる機会を逸してしまった、というのが正解なのであろうと今思い出した異常な筆者からは以上です。
(平成30年9月30日 日曜日)