教育は強制だ

AI労働
生成AIの普及でホワイトカラー仕事の大半がいらなくなる。
蒸気や石油や電力で肉体労働が省力されたのと同じ.頭脳労働が省力化される。
じゃあホワイトカラーはどこへ行けば。
教育。
しかも幼児、初等中等教育 保育園幼稚園小学中学高校。
この時期の教育はAIで置き換えきれない。
なぜか。
大脳という器官そのものに言語と知識を強制インストールする必要があるからだ。
教育とコミュニケーションがセットで、
個々人のモチベーションをうまく上げながら、
集団で協調と競争しながら
自分の脳みそにあるレベルの言語と知識と経験を
大脳という身体にインストールする
必要があるからである。
教材そのものはAIを駆使すればいい。
が 裸の子供にAIを教えれば、大半はユーザーにはなるが学べない。いやそもそも自分の中の学びがないとAIに問うことができない プロンプトが作れない。
「やばい」としか喜怒哀楽を表現できない言語能力ではAIも使えない。
そもそもAIの答えの意味を読み取れない。
そこで割と悪口の言われやすい日本の初等中等教育が案外重要となる。
学校に集めて、おんなじことを強制的に教える。
もちろん向き不向きがあるから東大に行ける子も中卒の子も出てくる。
じゃあそれじゃダメなのか。
違う。
勉強を能力主義メリトクラシーの尺度だけで測るからダメじゃないかと勘違いする。
しばしば日本のつまんない初等教育を悪きメリトクラシーと批判する人に限って超高学歴だったりする。
自身がメリトクラシーのトップなので勉強イコールメリトクラシーと勘違いしちゃう。
勉強は本来の意味での基礎教養である。
基礎教養の社会レベルが高いってのはものすごく大きな力。
誰もがあるレベルまで同じ教育を受け同じ言語体系の中でコミュニケーションする。
これができるようになるのが社会にとって重要なのだ。
人間は150人の村で互恵的に利他的に時に利己的に共存する形でサバイバルしてきた生き物だからである。
だから同レベルの言語と知識を浴びておく。
全部覚えてなくてもどっかに残っていていればいい。
そんな幼少期の学びのサポートには間違いなく人間が必要である。
ざっくり言って今の3倍以上、教育支援する人たちが必要。
ここを新しい「市場」と「職場」とする。
AI時代にAIを操りながら暮らせる未来はちっちゃい子の教育にかかっている。