(2020/01/16)労働に対する報酬制度を柔軟にすることで働き方改革は格段に進むだろうという検討を記事にしましたので読んでください
おはようございます。
2020年1月の、働き方改革に関する配信記事です。
日本における「労働」の完璧さは、世界に誇るべきサービス水準です。
コンビニで弁当を頼むと、お箸やストローが何本必要かについても、きちんと尋ねてくれます。
電車や汽車の時間は、極めて正確です。
ATM(現金自動支払機)からは、確実に、入力した通りのお札が完璧に出てきます。
この、サービスや財に関する完璧主義は、GDPにはなかなか反映されません。
この点、働き者と言われているけれども、どうしても日本の常識とは違う、ヨーロッパの経済大国、ドイツの社会の話を聞く機会が(YouTube動画ですが。。)ありましたので、ここで比較しておきたいと思います。
ドイツにおいては、買い物にいくために30分以上歩くのは「当然」です。
歩くのは健康にいいし、なぜバスやタクシーや自家用車といった、文明の利器を使うのか、彼らには意味がわからないのです。
当然、買い物した荷物もそのままエコバックに入れて持ち帰ります。
それでも、ドイツの社会は回るわけです。
ドイツ人は、「働くこと」について非常にシビアな考え方を持っています。
要するに、その労働は労働に見合った効果を得ているのか、ということを第一に考え、消費者やサービスや財の受領者のほうでやってしまえることは、極力彼らにやらせるということが、労働自体の価値も高めるということを無意識にも実施ししているということなのです。
しかも、残業についての考え方も、日本とはだいぶ違います。
日本においては、残業した場合の補填は、残業代という「費用」「お金」で支払われます。
むしろ、休日出勤や時間外労働、深夜労働における報酬の方が、1.5倍や1.25倍といった、効率の良い報酬体系になっているということも、労働者側が残業をやめられない、という大きな理由になっているのです。
この点、ドイツは違います。
「時間で給料をもらう」職種が厳密に決まっておりまして、この場合、1日で働く時間の上限は原則8時間と決まっており、上限を過ぎて働いた分は残業代ではなく「時間」で補償されるのです。
つまり、残業した時間分、他の日に早く帰ったり、貯まった残業時間で休暇を取ることで還元されるというわけです。
そうして、総労働時間を調整されますので、同一の職種における、残業する人としない人との、残業代格差というものが存在しません。
この労働時間管理システムは別にドイツだけの特殊なものではなく、各国で浸透していまして「労働時間口座(Arbeitszeitkonto)」などと呼ばれています。
つまり、ドイツ人は、残業せずに休暇をしっかり取るという理解ではなく、残業はあるが、残業した分をマイナスの労働時間で還元するので、総労働時間は変わらない、もし、給金を上げて欲しいと願うならば、「労働時間あたりの単価が高い」職種に昇進するか、転職して別の仕事を探すというのが当たり前に行われるという社会ということです。
そして、労働に対する成果についても、おおよその基本的なところさえ外していなければ、だいたいそれでよしとする、そのような文化があります。
筆者は、高校時代にドイツに行ったことがある英語の教師の授業を受けるという幸せに浴しましたが、先生が言うには、ドイツでは縦列駐車していても、前後の車をバンパーごとぶつけ合って、出る隙間を作ってから堂々と出ていくそうです。
日本だと、賠償ものである、そのような車に関する態度も、これだけ違うのです。
ですので、ドイツの車は、特にバンパー周りや車体部分が、非常に頑丈にできているのだ、と当時の先生は言っていましたが、さもありなん、と思うのです。
ということで、ドイツにおいては、残業はもちろんありますが、残業する人が評価が高いと言うわけではなく、総労働時間の中で、どれだけの質の高いパフォーマンスを出せるかということに自然と意識が向くようになっているのです。
また、サービスや商品の納期についての考え方も日本とは違いまして、日本人は課題が完璧に解決されるように作業して結果納期に間に合わないことがあるのに対し、ドイツ人は、とにかく雑な仕上げであるが期限は完璧に守る、という言い回しもあります。
もし、雑な仕上げが嫌なら次から頼まなければいいわけであるし、商品として欲しい顧客は「自分の時間」を削減するためにこのように既製品を購入するという意識が浸透しているので、そんなにこだわるなら自分でやれよ、という無言の文化の中では、余計なクレームをつける方が社会にとっても無駄、であるのかもしれないのです。
さらに、ドイツにおける有給休暇は、「連邦休暇法(Bundesurlaubsgesetz)」により、6カ月勤務で年24日以上と決まっています。
日本は6カ月勤務で年10日であり、最長でも1年間で20日しか付与されません。
しかも、この有給休暇は2年の消滅時効にかかりますので、長期間単一の会社に勤めている会社員の場合、毎年4月1日に、それまでの20日の有給休暇が時効により消滅し、そして新たに20日の有給休暇が付与されて、合計40日の有給休暇残がある、というような状況になっています。
そのような、「逆コンプリート」の会社員、令和のこの世の中になってもまだまだ多いのではないでしょうか。
ドイツではこの(多すぎるように思える)有休を本当にきっちり消化します。
さらに、大事なことですが、医師の診断書があれば有休休暇とは別枠での病気休暇を取れることだ。
つまり、日本において通常行われている「病気になった時のために有休を温存」するといった余計な世話はする必要がないのです。
それでも、社会は立派に回るのです。
少々、サービスの品質にムラがあっても、だったら自分でやれば、という空気の中では、そういうもんかとも思えてきます。
お金を出している顧客=神ではないのです。
お金など、してもらうことの対価に過ぎず、その、「してもらうこと」はサービスや財の提供側が決める、嫌なら買うなという点で気持ちいいくらいに統一されています。
誰だって、サービスの提供者である担当者が長期不在で物事が前に進まなければいら立ったりするものです。
しかしながら、サービスの提供を受ける顧客であると同時に、サービスを提供する労働者側に立つこともあることを、お互いよくわかっているドイツの人々は、いろいろな事情を許容しあって、次に休暇を取るのは自分だから、うるさく言うのは意味がない、と達観し、お互いに、かけてもいい迷惑は遠慮なく掛けあい、不便をお互いにシェアしながらそれでものびのびと生きていこうとしている社会なのかもしれません。
日本は、便利さをお金で享受することに、恐ろしく慣れている社会です。
それが行きすぎると、際限のないサービスを求め合い、お互いにプロの労働者として、首を締め合うかのような居心地の悪さに繋がることもあります。
迷惑と不便を許容しあい、他人が何をしようと同僚や顧客が自分にどのような評価を下そうとそんなことは自分の人生にほとんど関係ない、気にしない、というドイツ車のバンパーのような強靭なるメンタリティの下で育たない限り、ドイツ式の働き方や休暇の取り方が日本で浸透するのはけっこう難しいというのが筆者の実感になります。
結局、いくら安くて素晴らしいサービスであっても、そのサービス提供を行う会社の最前線の従業員が食うのに困るとか、過労で倒れてしまうといった状況の上にそれらの財やサービスが成立しているというのであれば、そのような血の匂いのするサービスを利用しないと思いたいし、自社の従業員でなくても、二次請け三次請けの下請け業者(協力業者)を限界までこき使って買い叩いて負担を押し付けているようなサービス提供会社の商品は使いたくない、と思う常識的な対応を貫けば社会はよくなるのではないかと思います。
それでは、ドイツのことについて偉そうに論じましたが、ドイツはおろか、ヨーロッパにも足を踏み入れたことのないまま45歳を迎えてしまった筆者からの感想記事は以上です。
(2020年1月16日 木曜日)
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2020年1月16日(2020/01/16)労働に対する報酬制度を柔軟にすることで働き方改革は格段に進むだろうという検討をしましたので読んでください