(2020/03/15)資産課税について:トマ・ピケティ氏が唱えたr>gの世界が本当ならそんな世界の税制の正解は何かという話です

おはようございます。

2020年3月、今の世の中の課題解決のアプローチを、生半可な知識で探ってみようという、意欲的な記事です。

素人でもわかりやすいように話をしたいと思います(かくいう筆者自体が素人なので)。

本日のお品書きは、トマ・ピケティ氏の課題認識をわかりやすく解説することなのですが、その前に、日本において「学歴」というと、東大とか京大とか、早稲田とか慶應とか、そういった「(学部制)総合大学」自体の横並びの「(入試)偏差値難易度」による差異自体を言うようですが、これは、世界基準ではありません。

世界においては、大学学部卒の「学士」、大学院修士課程を修めた「修士」、そして大学院博士課程を終了し博士号を取得した「博士」という縦の、主に大学での修学履歴のことを「学歴」と呼ぶものです。

この世界標準に沿いますと、筆者などは大学学士に過ぎませんので、修士や博士の方々に比較しますと学歴においては全く劣っている、ということになります。

これは、人間としていい悪いと言っているわけではなくて、あくまで就学履歴がどの程度あるか、ということに合わせた一般的な評価なのですが、日本においては、非常に難しい(学部の)入学試験を課す割に、大学内部での「教育」がスカスカである嫌いがありまして、学士については言うまでもなく、修士や博士に対しても正当な(経済的報酬面においての)評価がなされていないように感じておりますので、ここで一言付記しておきたいと思います。

これから、さらに生産年齢は上昇し、寿命も90歳を軽く超えていく超高齢化社会において、学ぶ時間というのはそれこそ無限にあると思います。

ぜひ、たかだか18歳時点の2月の「大学学部入試」における勝負がすべてだといった「幻想」に陥らないでもらいたいと願うばかりです。

さて、学歴の、日本と世界に関する違いについての話は置いておいて、今回は、トマ・ピケティというフランスの経済学者が提唱した、r<gという概念についてさわりだけ説明したいと思います。

rは資本収益率と呼ばれ、すなわち、今ある何らかの資産の利回りです。

資産は、国債のような債券の形でも、配当のある株式の形でも、賃料が見込める土地でも何でもよいですが、資産として価値あるものを保有している人々が、それを「運用」して得られる平均リターン(収益率)です。

続いて、gは経済成長率と呼ばれ、すなわち、今いる労働者である我々が、額に汗して働いて稼ぐことによって得られる、国程度に大きな経済単位の経済成長率を指します。

国民がある一定以上存在し、経済活動を行い、順調に経済成長を実現できれば、ある一定以上の経済成長率を継続して示すことができるというのは経済史の統計的に明らかになっています。

トマ・ピケティ氏が唱えた課題は、この、gという経済成長率が、頭打ちとなり、それに従って、単に今ある富=資産の運用成果であるrに届かない状態が長期的に続いてしまっており、そして経済の高度化や運用手段の多様化により、さらにr>gという不等号の状態が固定化してしまうのが、低成長にあえぐ世界の先進国共通の課題である、と喝破したことなのです。

このことを論じた、大著のトマ・ピケティ氏の「21世紀の資本」が世界的なベストセラー(学術書)になりました。

つまり、現在の世界の税金は、労働者(国民)の経済活動から直接取るという形、すなわち、所得税にせよ消費税にせよ、超過するg(経済成長率)からいただく、というのが主流であったところ、すでに資産運用のrのほうが、恒常的にgを上回る状況になっている以上、相当の経済的利得が得られている部分から課税すべしという観点からも、資産そのものに課税することが提唱されているのです。

これは、フローとしての所得が低い人でも、大きな土地を保有しているというような「運用資産」を多く持つ人には、課税を強めるということになり、日本いや世界の税制構造を大きく変える意味を持つ議論になります。

そもそも、感覚的にr>g (資本収益率>成長率)という状況がここ最近ずっと現出しているという研究から、いや、大不況や金融危機の際には、rの方が簡単にマイナス成長に陥るのであり、この不等号は限定的であるといった研究報告まで、経済学の世界の議論は割れているわけですが、フローの所得であってもストックの資産であっても、わが国においては、やはり「格差拡大を生む根本的な力」であるr>gの妥当性はある程度認められる、そのうえでその格差緩和のための政治や経済政策の役割について論じようとするのが大半の議論です。

そして、資本税という、資産そのものに課す税金を、どの程度拡充するかという議論になってくるわけですが、「個人の保有する資産」を課税ベースとする税というのは、実は把握が難しく、資産を無償で取得する場合の「相続税」、主に土地や建物といった資産を保有している場合の「固定資産税」については限定的に課税措置がなされているものの、そのほとんどはあまり科学的根拠に基づいて決められているものでもありません。

トマ・ピケティ氏の「資本税」は、あらゆる個人資産を対象に時価評価し、負債を引いた「純資本」をその課税対象とするという意味で、個人個人のバランスシートをすべて洗い出し、脱税を許さないというアイデアです。

そして、彼は、世界的なタックスヘブンを撲滅するために、世界が協力体制のもとで、累進税率を課すことを提言しています。

たとえば、「1億円を超える金融資産、不動産の合計(時価評価)から負債を差引いた『純価値』を課税ベースとし、1%、2%というような累進税率」を提言しているのです。

累進税の根拠として、不公平を是正するというだけでなく、資産の規模に応じて収益率も変わる(規模が大きいほど収益率も大きくなる)ことを挙げている。

この理由として、相続税のような1度きりの課税では公平性は保てないこと、資産から生じる所得への課税(資産所得税)では租税回避などが生じやすく実効性が薄いことを挙げています。

確かに、格差社会の懸念は強く、いったん努力して富を築くのはよしとしても、カネがカネを生む、というそのことばかりが次の世代にまで持ち越せば、社会は階層化し活力は損なわれます。

これでは、数十年ごとに、大戦争を起こしてハイパーインフレを起こすか、配線して農地解放政策といった、強烈すぎる所得再分配を行うなどの、「(GHQ?)政治の意思」がなければそうそう是正されるものではありません。

それでも、財閥解体を食らった戦後の日本では、朝鮮戦争を機会として、一度分断された財閥が、一旦分かれた寄生獣が宿主のもとに再集合するがごとく、再編成され、事実上の「グループ」として見事に復活しました。

経済成長を遂げれば自然に解消されるものではないのは明らかです。

このように、将来の人間社会を担保するための税金をどこから収納すべきか、という議論は、古いけれども新しい議論として、さまざまな可能性が検討されなければならないと思っているのです。

それでは、今日はこのくらいにいたします。

続きをお聞きになりたい方が多い場合は、YouTubeチャンネルでこの続きをやりたいと思っています。

こちらからは以上です。

(2020年3月15日 日曜日)

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