2019年12月27日
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福岡城 潮見櫓を望む |
おはようございます。
2014年1月の記事です。
平成26年、大河ドラマ「軍師官兵衛」で盛り上がっている福岡ですが、官兵衛こと黒田孝高(如水)の出身は実は播州姫路です。
すぐ西の播州平野の戦国大名小寺家の家臣として始まり、やがて西の毛利家、東の織田家に挟まれたこの地で織田信長の世界戦略をいち早く見抜き播磨一国を織田家に引き入れ、信長家臣団の中で頭角を現した羽柴秀吉麾下に加わります。
秀吉の参謀として毛利家との戦場に出向き、信長急死後、秀吉が次の天下人としての名乗りを上げさせ中国大返しという日本戦史屈指の強行軍を仕込み、主君を射った明智光秀(家臣団の序列は秀吉より格上と言われる)を破る功績を上げます。
そして秀吉より豊前中津に十萬石の領地を賜り、若くして引退し家督を譲りつつ中津の街づくりを行います。
そうして秀吉死後の天下分け目の戦いでは嫡子長政を関ヶ原に送り、自身は九州平定の最後の大勝負をかけるのです。
最後に家康により黒田父子が封じられたのが福岡の地、ここに黒田家五十二萬石の藩主として君臨することになります。
福岡という地名は黒田家の出身であった備前国福岡庄に因んだものです。
初代は長政ですが如水は藩祖として仰がれます(零代目ということです)。
次に続きます。
(平成26年1月11日)