おはようございます。
2018年8月の、この上ない、いい記事を配信させていただきます。
既に大手メディアも報じていますけれども、こうした素晴らしい生きざまを見せている人間がいるということを伝えるのは、どれだけ零細媒体であろうが正しく報道、紹介、記事にすることが責務と考えておりますので、できるだけありのままに率直に、後世に長く残るように記録しておきたいと思います。
ご覧ください。
山口県周防大島町で、2018年8月12日から行方不明になっていた2歳の男の子である藤本理稀(よしき)ちゃんが、同年8月15日の早朝に、無事に保護されたのです。
発見したのは、なんと捜索のために単身大分県日出町から軽自動車を駆ってやってきたボランティアの尾畠春夫(おばたはるお)さん(78歳)です。
尾畠さんは、家族に失踪当時の状況をヒアリングした後、警察の捜索が始まる午前7時を待たずに一人山中に入り、そしてたった20分ほどで本人を発見し、抱いて連れ帰り、家族に直接引き渡しました。
この捜索前に、尾畠さんから直接話を聞くことができていた大手メディアの記者とのやりとりによると、尾畠さんは、大分県から来たと聞いた記者から「なぜ大島に?」と質問されると「(男の子を)探しに来たんです。幼い子供の命を助けてあげたいなーと思って」と涙声になりました。
「大分県からわざわざ?」という問いかけにも「わざわざじゃないですよ。日本人だから。言葉が通じるから私は日本中どこでも行きます」と答えています。
リュックから新聞を取り出し、男の子はまだ見つかっていないというから、気になって、と答えています。
全て、公開資料から情報を得ています。
凄いことです。
まったく自然で、ひとつの無駄もありません。
改めて驚くことにこれは、見つける前の映像なのです。
筆者も見ましたが軽装リュックに必要な防災器具をきっちり詰め込んだ、本当に考えられた装備で驚きました。
そして、「人間、特に子供っていうのは、下に下りるよりも上に上がるほうが好きだから」と言い残し、ひとりで家の北側にある山を700メートルほど登っていき、20分ほどで男の子の発見にいたりました。
実に3日間にわたり、警察を中心とした160人体制での付近を捜索がなされている中、これまでのボランティアの現場での経験を生かし、ここだと定めて入っていくその姿と胆力そして保護の結果に、日本中が驚きました。
そんな物凄い成果をもってしても、尾畠さんの態度は発見前と何も変わらず、捜索や保護の様子を警察や報道各社に的確に伝えていました。
そして、2016年末に大分県で行方不明になった女児の捜索ボランティアにも参加しその時の発見の経験が今回の捜索で生かされたことを明らかにしたのです。
まさに、現場での経験が生きたのです。
そうして報道各社のインタビューに対しては簡単に「小さな命が助かったと思った。本当にうれしかった。助かってよかった、助かってよかった。ただそれだけ」と語ったのみでした。
ボランティアとは、寝るところも食べるものも、自分で用意するもので被災地や困っている現場には負担や迷惑をかけない、その態度と仕切りをきっちり守っている尾畠さんは、お礼に家の中でもてなそうとする救出男児の家族のたっての誘いにも、ボランティアという矜持からという理由できちんと断りを入れて、16時には急遽用意された警察からの感謝状の授与を受け、その日の夜には乗って来た軽自動車を駆って颯爽と帰って行きました。
男児を探しに山中に入った、その時と同じ防災リュック姿のままです。
一旦大分の自宅に戻って装備をまた整え、そして次の日からまた広島呉市の豪雨被災の現場でボランティアをやるそうです。
尾畠さんは大分の別府市で鮮魚店をやっていましたが、65歳の誕生日を機にすぱっと引退して、そして残りの人生を、お世話になった人への恩返しをしたいということでボランティアに定めて、全国各地を車中泊しながら各地の被災地を巡ってボランティア活動を行なっておられます。
大手メディアがこの尾畠さんのこうした軌跡を報道する中で、特に目立ったのが、全国各地の被災地の社会福祉協議会の事務局長といった人々が、尾畠さんといえば、というエピソードを、これでもかと話している様子でした。
まさに、記憶に残るお人です。
私、高校登山部出身だけどこの方の域には到底かなわないです。
しかし、同じ人間心構えさえあればここまでの高みに行けるものなのだと大きな衝撃を受けました。
行方不明になってから68時間、夜は真っ暗な山中で待ち続けた2歳児もよく頑張りました。
そういうわけで、このように記録ではなく記憶に残る人たちがいるということを、人間捨てたもんじゃないなと感じたことを、零細メディアですがきちんと記録に残しておきたいと思います。
こちらからは以上です。
(平成30年8月17日 金曜日)