山岡鉄舟

男の中の男 山岡鉄舟

西郷隆盛さんの人物評

「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」

刀もないような経済状況で知人に大小を借りて、たった1人で江戸へ進軍中の官軍に使者として赴き、大音声で堂々と「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と官軍の中に入り談判して話をまとめて無事に務めを果たし主君、慶喜の下に戻る。

江戸城無血開城の自身の功績は殆ど勝海舟の言うがままにしておいて勝の面子を潰すからと何も言わなかった。

岩倉具視は鉄舟を呼び出し、「手柄は勝に譲るにしても、事実として後世に残さなければならない」と説得し、鉄舟に事実を書かせた。

西郷からのたってのお願いで明治天皇の教育係として侍従を10年勤めるが酒に酔った状態で相撲を取ろうとするお上をやり過ごして諫言したエピソードや皇居の仮宮殿が火事になった際にはいち早く駆けつけるなど剛直な人物です。

侍従を致仕後、勲三等に叙せられたが、拒否している。勲章を持参した井上馨に、「お前さんが勲一等で、おれに勲三等を持って来るのは少し間違ってるじゃないか。維新のしめくくりは、西郷とおれの二人で当たったのだ。おれから見れば、お前さんなんかふんどしかつぎじゃねえか」と啖呵を切ったなど

数々の逸話があります。

小野派一刀流の宗家で剣聖とも称される程の腕を持っていても、いつ殺されてもおかしくないような敵陣に単身で颯爽と現れ、重大な局面を刀を一切抜く事なく。主君への真心だけで治め、大役を果たしても誰に誇るでも無く泰然として顔に出さないところが男として最高に格好良いです。とても尊敬しています