観光立国推進とは、通貨の価値が高い、エラい人たちに来ていただき、お金を落としてもらうということでございます。 おはようございます。
この一球は、絶対無二の一球なり(テニス漫画「エースをねらえ!」)
おはようございます。
2015年2月の配信記事です。
松岡修造さんの監修する暑苦しい日めくりカレンダーが人気だそうです。
筆者も、「投票日まで◯日」といった手製のカレンダーを作ったことなどがありましたが、毎日見るところに貼り付ける日めくりカレンダーは朝のモード切替に大変有用なツールのようです。
松岡修造氏は小林一三(注:歴史上の人物ですので敬称をつけません)という、阪急電鉄及び宝塚歌劇団を創設した関西の伝説的実業家を曾祖父に持つという、超エリート実業一家に生まれました。
いわばコネも金もある華麗なる一族の御曹司だったのです。
しかし、彼はテニスに目覚めます。
学校も慶應幼稚舎から進んだ慶應高校を辞め、テニスの名門という九州柳川の柳川高校に編入します。
そして、一切の実家からの援助を受けず、ひとり孤独な世界へのテニス修業の旅に出たのです。
テニスを選ぶにあたり実家の援助は一切なし
実家からはテニスのプロ転向に際し一切の金銭援助を行わないと厳しく通達されたため、とにかく金策に苦労したそうです。
ランク下位の日本人選手など、誰も見向きもしません。
とにかく貧窮に耐え、ひたすら世界中を転戦する日々です。
転戦しポイントを少しでも稼がないと、ランクも上がらずより上位の大会に出場することも叶いません。
ホテルのルームはやっとこさ探しだした安宿を、これまた転戦してきた海外選手とシェアし、ランキングが下位の松岡選手はいつも床で寝る方だったとのことです。
ホテルの朝食に出たクロワッサン、隣のテーブルの旅行客が残したものをすばやく失敬することもあったといいます。
そんな松岡選手は、富士山の写真と名作テニス漫画「エースをねらえ!」全18巻を遠征の際にいつも持ち歩き、心を奮い立たせたそうです。
そうして1995年7月、ウィンブルドンのベスト8進出をかけたゲームで、「この一球は、絶対無二の一球なり!」と叫んで勝利を決めました。
日本人選手として実に何十年ぶりかの四大大会ベスト8進出でした。
日本人選手の心を奮い立たせた名作の力に脱帽いたします。
筆者も久しぶりにテニスをしてみようとコートを予約してみました。
水郷柳川といいますが、柳川高校そばを川下りで通りぬけ、終点の御花(おはな)で鰻を食べただけという非常に薄い縁の筆者からの解説は以上です。
(平成27年2月9日 月曜日)