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日本ハム→広島→読売(1992-2009 18年) |
おはようございます。
2014年11月のプロ野球に関する配信記事です。
キムタクこと木村拓哉氏といえば、もう10年以上にわたり芸能界のトップに君臨する俳優でありスターですが、今回触れたいのはプロ野球選手でありコーチであった木村拓也氏の方です。
木村選手は、究極のユーティリティープレイヤーです。
何しろ投手を除く全ポジションでの公式戦出場経験があるのです。
更に打席でもスイッチヒッターです。
右投手の時には左打席、左投手の時には右打席に立ちます。
そうすると、自分の背中の方から逃げていく球がなくなる、練習は倍やらないといけないけれども対応すべき球種は半分になるといってひたすら練習に取り組んだのです。
木村選手が若いころ二軍で頑張っている時、9月末から12月末の4か月間、ハワイのウインターリーグに参加するチャンスをもらえたそうです。
そこで偶然同じ部屋だったのがあのイチロー選手でした。
1歳下のイチロー選手は、木村選手が起きるよりも早く朝からウエイトトレーニングをしていたくらいの練習の虫だったそうです。
このウインターリーグで、イチロー選手は首位打者になりました。
木村選手は自分の野球人生を変えてくれた人だと感謝しています。
トレードで各球団を転々とし、空いたポジションに出場機会を求めて練習をしていく、この中で、高校時代は4番で捕手だったプレイヤーは、いつしか外野内野どこでも守れるスイッチヒッターとなっていくのです。
プロになってから、あくなき好奇心とハングリー精神で球団もポジションも渡り歩いた根性と努力の野球プレイヤーでした。
そして、ついに本職の捕手としての出場機会もやって来たのです。
2009年9月4日、途中交代や負傷退場などでベンチの3人のプロ本職捕手がいなくなってしまった同点の延長12回、木村拓也選手(この時の登録は内野手)がマスクをかぶったのです。
木村捕手は延長戦最後の回の守備において、実に違うタイプで継投した3投手に対し立派なサイン交換とリードを行い、無得点に抑え、敗戦を防ぐという活躍を演じたのです。
そんな木村拓也選手は2010年に入ったオフに引退、読売ジャイアンツのコーチとしての指導が期待されていた矢先の2010年4月、公式試合前の練習で突然倒れ帰らぬ人となってしまいました。
享年37歳。
所属した広島カープと読売ジャイアンツの試合前であり、両軍関係者やファンにも大きな衝撃を与えました。
ドラフト外でのプロ野球入りから始まり、その時々でチームで空いているポジションに入り込もうとした努力の結果、類まれなユーティリティプレイヤーになっていったという凄い野球選手の紹介でした。
キムタクの努力に見習いたい同世代の筆者からは以上です。
(平成26年11月9日 日曜日)