負けた時に良く使われる次に繋がる結果とは一体何かを考察してみます
おはようございます。
2013年9月の記事です。
オリンピックや世界選手権のような大きな大会において特定の競技について述べるわけではありませんが、何年かに一度の競技人生の集大成で選手たちが臨んでいる大会においてマスコミやレポーターが勝負に敗れた時に使う「次に繋がる云々」という言葉に疑問を感じております。
選手にとってみれば、次への準備ではなくまがうことの無き本番なのです。
そこで敗れれば、負けたという結果をきちんと受け止めなければなりません。
負けた勝ったは厳然と結果としてありまずそこを飲み込んで咀嚼することが大切です。
しかるに負けた結果を吟味せず、いつも次に繋がるでは本当に重要な瞬間はいつも「今」ではないということになってしまうのではないかと思うのです。
投資についても同じ
投資についてもそうです。
急落した自らの持株が、明日は上がるだろう、次は戻るだろうと待っていても始まりません。
急落したときは確かに相場の張りに敗れたのです。
それならば売りポジションを持っておくべきだった、少なくとも買わずにいればよかったわけで、その出た結果に対して真剣に向き合わない者には次を語る資格はないと思います。
投資の世界も勝負の世界です。
リアルに結果を受け止める胆力が、特に負けた時の受け止め方が大事だということです。
それが次へ行ける資格だと思います。
負けた時の振る舞いが大切だということです。
負け続けている筆者からは以上です。
(平成25年9月17日)